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last update 2001.10.2
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今日は 満月の日のお葬式に参列し 改めて 死というものを 感じる機会となりました。 ちょっと 長くなりましたが お付き合いくださいね。 やまあいの静かな小さな町のお葬式に行ってきました。 亡くなったのは 親戚のおじさんでした。 集まった方も穏やかな雰囲気の方ばかりで 咲き始めた金木犀の香りに包まれて おじさんらしい和やかな式となりました。 私の実家が本家なので、お盆には親戚がお墓参りにきて集まります。 その時に揃った親戚でお食事したり お酒を飲んだりというのが 小さいころから当たり前に続いていた私のお盆の風景です。 おじさんも夫婦で毎年来てくれて 細かくいうと“祖父の妹の旦那さま”、つまりは大叔父という遠い親戚なのですが 家が近いのもあって親しくしてもらっていました。 このお盆も一緒に食事をしたのに。。でもここ数年 歳のせいか かなり細く弱弱しくなってきていたのは確かでした。 今年も落ち葉マークのついた車を運転して帰るのを 何か危なっかしく見送ったのでした。 ソーメンが好きな人だけど 家ではあまりしてもらえないらしく 母が以前はよく おじさんのためにソーメンをしたものでした。 去年もそして今年もしなかったので おじさんにソーメンだしてあげればよかったなって そればかり考えていました。 おじさんは 先月の半ばに転んで骨折して入院となり、その後、体力が落ち肺炎にかかって10月1日に亡くなったということです。79歳でした。 「人の手を煩わせずに死にたいと言っていたので 本望だったと思う」と息子さんのあいさつがありました。 この訃報を受け取ったとき すぐに おじさんのエネルギーを感じてみました。 (フラワーエッセンスと関わりだして エネルギーを少しずつ読めるようになりました。感じるという方が正しいのかもしれません。特殊なものではなく ただよく使うので敏感になったって感じですけどね。。) とても柔らかで優しい感じがしました。 肉体の束縛を離れ そして私達みんなを見守ってくれている。。 いつもいつも穏やかな人でした。。そしてその感じが今は広い範囲で包み込めるエネルギーへと変わっていました。。 今まで感じた方たちも 大勢に参列してもらって大喜びで飛び回っている人や 家族や参列者を暖かく包むようにしている方などで、、死というもの自体の見方も 感じることで変わってきました。 ただ寂しく悲しむべきものだけではなく 肉体から自由になったことの喜びでもあること、そして 大きな愛の存在であることを思い出すことみたいなのです。 お葬式に向い、中国自動車道を走りながら 見える山や空もとても澄み切った色をしていて きれいで そしてやさしかった。 どこでも焦点をあわせれば おじさんの存在をかんじることが出来る。そのエネルギーに包まれたり 感じたりすることは とても幸せなものでした。 お葬式にもそれを感じていて 「安らかなエネルギーで光のところへ行けてよかったなあ」と 心から嬉しく思って居ました。 でもさすがに 棺おけに花を並べるときに 既に生気のなくなった顔を見ると もう会えないことが信じられなくて思わず泣いてしまいました。 魂のレベルでは、また会えるとわかっていても 存在が消えることはないとわかっていても やはり悲しいし、寂しいものなんですよね。 気丈に努めていた家族の方も 火葬場での最後の別れには号泣されました。 いよいよ 点火された後、外に出て空を見上げたら 私の頭の真上に 大きな真ん丸い雲がくっきりありました。 「あっ まん丸い雲、満月みたい」と思った瞬間 その雲がどんどん 広がってそしてその広がりが下へ下へと降りてくるような まるで大きな雲に 私が包まれていくような感じ。。。 あれ??これは おじさんの包むような優しいエネルギーそのもの。 〜のような感じがしてるというのを おじさんがはっきり形にして視覚的に見せてくれたのかもしれないと。。。その雲にしばし包まれた時間を持ったのでした。 今日は満月。満月に向かうときはいろいろな感情が増幅されてしまいますが 新月に向かうときは鎮静されていくようです。 だから 助かったって思いました。悲しみも 少しずつ月のように欠けていきますように。 次の新月は10月17日です。 |