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last update 2001.11.1
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「すべての人は 自由に表現することが 認められています。 そして それを 受け取るか 受け取らないかの選択の自由も。」 唐突に始めてしまいましたが 今日は 自由について。。お付き合いくださいね。 最近、ある方に この天使のひとりごとに関してのメールをいただきました。 「批判ととられるか、糧にするかは 自由です。」というよなことも書かれていました。 その文を読んで その方の感じ方、思ったことは、私とまったく違うけれど それでいいんだなって心からおもいました。 どのように感じることがあっても 本当にそれぞれの自由だと 思っているからです。 私と同じように思ってほしいと考えているわけではないので(それじゃあ 洗脳か教えになっちゃいますよね〜)私の文章から そういう新しい考えが生まれたというのは また面白いことだとおもいました。 実は、私も人の文章で引っかかったところから 自分の考えをまとめたりすることがよくあるんです・・・。 でも、その方の意見に関しては、根本的なものが違いすぎて 私の中にいれることは必要ではないと思いました。どうも フィットしないんです。 また、それについて 論争(?)したいふうな空気を感じたので、いろいろ考えましたが お返事はさせてもらわないことにしました。 返事を書こうとすると、なんか変な感じがするのです。ざわつくというか。。何を書いても そこに対して論争していくのならどうだろうか?と思うのです。 違うということは、ただ それだけのことで それぞれが完璧な状態で存在しているんですよね。 交わって せっかくお互いが確立したものを、歩み寄ったり ごちゃごちゃにしていく必要があるのかな??と・・・ 大量のエネルギーと時間を使ってまで 解ってほしいとも思っていない自分もいました。 エネルギーを注ぎたいところは 他にたくさんあるのだし。 空を見ながら 車を運転しつつ 返信メールの内容についてあれこれ考えていると なんだか息苦しくなってきました。 で、ついに メールに返信しないっていうことを 自分に認めてあげることにしたのです。 そしたら、ありゃま すっきりさわやか! いつもの私で にっこり笑っていられました。 頭は そんなこと失礼よ!ってまあ 普通に抵抗して見せるのですが、私の体っていたって単純!いたって 正直! 体の示すことは、間違いない気がします。 論争したいという気持ちに関しても また 自由だと思いました。 私も昔は 戦闘的だったかもしれません。 子供のころは お転婆で男の子と蹴りあいの喧嘩をしたこともあります。 高校時代は、剣道部で2段の腕前だったりします。(びっくり?) 率直すぎて 人を傷つけたこともありますし、 自分の方が正しいのだと思って激しく論争したこともあります。 戦いの中から 学べることも確かにあると思うんですね。そういう時期もあると思うし、、 でも 今の私自身のすべては、穏やかな状態から始まっている。。 それを 起点として 話したり、書いたり、笑ったりしているのです。 そして それが一番 私らしく心地よい状態。 私は 私らしい状態であることを 選択しました。 だから 受け取らない。 リングにも上がらない。(プロレスみたい〜?) でも 光はおくることができます。 光で包むこともできます。 その後 その方からまた メールが送られてきましたが、とてもやわらかい波動になっていました。 「自分の書いたものを 読み返してみたら 不透明で受け入れられなくて当然だと思った」と 私が返信しなかった意を 言わずと汲んでくれていました。本当にやさしいメールでした。 そして やっと お返事がかけたのでした。 あのとき リングにあがらなくて(上がれなかったのですが) よかったと思いました。 みんな ひとつのところへ じっと留まってなどいない。 常に、そして確実に、進化し続けているということも感じました。 なんだかんだとありましたが こうして書けるほど 得るものは、やはり大きかったので その方にはとても感謝しています。 本当にありがとうございました。 みなさまの毎日が心 穏やかなものでありますように。。。 (穏やかなのが 今、好みでない方には 失礼!?これも 選択の自由ですね。うふ) 次の新月は11月15日です。 |